Tetsu=TaLowの雑記(はてブロ版)

しがない大学教員が琵琶湖のほとりから呟きます

震災から2年

あの日から2年経ちました。改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りし、今も不自由な生活をされている多くの方々に心からお見舞いを申し上げたいと思います。

2年前のTwilogみてみると…なんか揺れた直後に津波を心配し、友人の身を一通り案じた後は、意識がひたすら原発にいってたなぁと。

上原 哲太郎(@tetsutalow)/2011年03月11日 - Twilog

私は原発の専門家ではないけど多分普通の人よりは原発の構造が理解できていたと思いますので、正確に状況を想像出来ていたと思います。2号機の圧力抑制室破損の報せには本当に涙を流して泣きました。事態は私が予想していた中でも最悪に近いシナリオで進みましたが、それでもなんとか原発の冷却状態を取り戻せたことは不幸中の幸いですし、残る山積する問題に真剣に取り組まれている人たちには本当に頭が下がる思いです。

あの日から数日経った頃には、私の頭の中にはこの国についてもっと辛いシナリオばかり渦巻いていました。端的には原発の風評被害で農水産物から工業製品に至るまで輸出が大打撃を受けたり、電力不足が深刻化してこの国の経済が痛み、一方復興と原発廃炉処理の負担が増して疲弊していくようなシナリオです。とはいえ、知恵を集めれば解決は少しは回避されるのではないかと思ってました。

ここでは原発のことばかり言ってますが、あらゆる問題について大学人の持つ知恵を集めることで解決が早まるのではないかと、そんなことを考えていました。なので、提案を受けてからずっと迷っていた霞ヶ関への出向に関して覚悟を決めました。私にも何か出来ることがあるんじゃないかと。


転職(出向)しました - 2011-10-03 Tetsu=TaLowの雑記

で、総務省に来てから1年半経ちました。

結果的に言うと私、正直なところ全く力が足りませんでした。残念無念です。

入省直後、一番やりたかったこと=震災復興に直接役立つ仕事には手が届いていないことははっきりしていました。まぁ専門家ではないのだから仕方がないかなとそれは早々に諦めて、ならば、代わりに与えられたことで自分の知見を生かして精一杯やればいいのかと思ったんですが…所詮官僚としてはポンコツなわけで、何でも出来るわけじゃありません。当初与えられた通信の標準化(しかも「セキュリティ関係は除く」)の仕事はどうにも専門から遠く力が出ません。すぐに「もう少し私の力が生きる部署に異動させてくれませんか」と波風を起こす要求に出てみました(前例がないことですから、当時、うちの組織は途方に暮れたでしょうね…)

幸い、ほぼ1年かけていろいろな方のご努力で、この状況の中で、私がこの組織の中で過ごす時間がより生きるよう、セキュリティ対策室への併任をかけてもらえました。そのおかげで特に電子政府推奨暗号の改定という難しい仕事の大詰めの部分に関われたことは自分でもよかったし、多少なりとも国のお役に立てたのではないかと自負しています。他にもいくつか興味深い仕事をさせていただけました。

ただ、そうして仕事を続けるうち、山積する重要課題を解決するために、あまりにも遠回りしているのではないかという思いも強くなりました。私個人も個々やっていることは決して無駄じゃないと思ってるし、霞ヶ関の住人の多くは自分の担当に真剣に取り組んでおられるのですが、そのままでいいとは思えませんでした。国として解決すべき問題の優先順位がある中で、予算や人的リソースの配分のバランスが必ずしもそれに合致しているように見えないのです。しかし私のような下っ端ではデシジョンメークの場にあまりに遠く、そのバランスを修正できる機会はありません。さりとて、自分自身で動いて重要課題(と私が感じている)仕事をしている組織内の他の部署の人たちに手伝いに行くのも、組織の仕組み上どうしても限界があります。

結局のところ、霞ヶ関の中で私が出来ることが大変限られていました。それは私自身の力不足もあるでしょうし、やり方のまずさもあるでしょうし…私にとっていいことがなかったわけでもなく、またお役に立てる機会が皆無だったとは言わないけれど、この1年半は総括すると私の中では「失敗」でした。選択ミスです。

ということで、ちょっと我が儘を通していただくことにしまして、少し早めに、今月をもって総務省を退職することにしています。立つ鳥跡を濁さずと言いますが、結局のところいろいろ組織を引っかき回してしまっただけに終わる気がしていて、大変申し訳ない思いがします。ホントにさまざまな制限のある中、私の我が儘を聞いて汗をかいていただいた皆さんに感謝します。そして申し訳ありませんでした。今後は別の形で、より私の知識や能力が生きやすい方法で、お役に立てる機会がないか探ってみようと思います。その機会があればそこでご恩をお返しいたしますので、よろしくお願い申し上げます。

なお、今後の身の振り方についてはまた改めてお知らせします。